信念を持ち、誇り高く生きる、あるいは死ぬ。
局面的な成功、失敗ではなく、生き方にこだわる登場人物たち。
「どのように生きたのか」「どのように生を終えたのか」がその時代に生きる人だけでなく、後世の記憶に永く残る物語。
上田久美子先生の作品の根底に流れる作風は、本作にも通じるものがありました。
王家は黄昏となりますが、そこに生きる人々は絶えることはありません。
少なくともその魂と、誇りを持って生きた証は先達同様しっかりとロシアの大地に刻まれます。
そしてそんな風に生きた人々の魂が、その大地を「神々の土地」たらしめるのです。
ロシアも、宙組も、神々の土地です。
初代姿月あさとから凰稀かなめに至るまでのトップスターの、いや彼女たちだけではない宙組に生きた誇り高き生徒達の魂を受け継ぎ、新たな歴史を刻んだ朝夏まなとは、私たちにとっても誇らしい魂をこの大地に残します。
歌詞そのものは書きませんが(書けませんが)、改めて主題歌「神々の土地」の歌詞を噛み締めてみてください。
朝夏まなとへの当て書き、ならぬ「当て歌詞」に他なりません。
我が思いを残して去る、次の時代に全てを託して。
いずれ来る次の時代が、きっと素晴らしい春であると信じて。
朝夏まなとが、彼女の宙組が千秋楽の日、その極みにたどり着き、完成することを信じて作った歌詞、歌ではないですか!
上田先生の朝夏まなとへの愛と敬意を感じずに入られません。
この愛は、朝夏まなとだけでなく、伶美うららへも注がれます。
注がれるから、あのラストシーンになるのだと思います。
退団公演のラストはトップスターが銀橋を上手から下手に渡って去りながら幕が下りるのが一つの定石ですが(これでも十分美しいですが)、本作では幻想的な最後が待っています。
場所はドミトリーとイリナが踊った雪原であることは間違いありませんが、時間軸が全くわかりません。
分からなくてもいいとさえ思います。
2人が見つめあい、近づきながら幕は下ります。
2人の心が通じ合い、愛し合っていることは確かです。
ただ、私は近づいている途中で幕を下したことに上田先生の演出意図があると考えました。
つまり、その先は観客に委ねているのです。
私は2人が見つめ合いながら近づき、互いの想いを感じながらすれ違うと想像します。
ドミトリーはイレーネを愛した。
イレーネはドミトリーを愛して、イリナになった。
2人は信念のままに生きることを誓い合った。
だから2人は愛し合っていても、互いに別々の人生を生きることを選んだと考えます。
(余談ですがこの切なさ、ちょっと正塚作品の世界観にも通じますよね)
それでも、仮に別々の人生を生きたとしても、この大地=宙組だけが、ドミトリー=朝夏まなととイリナ=伶美うららの生きた=演じてきたことの全てを覚えているはずです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。