夢よりも、現実(リアル)こそ切なく、美しい。
現実(リアル)の方がロマンチックで、儚い。
上田久美子先生の作品には、そう感じさせる魅力があります。
豪華絢爛な舞台装置、華美な衣装、奇想天外で飛躍するようなストーリー展開・・・上田先生の描く世界にはそのいずれもないのに、想像力を掻き立てられるのです。
全ては「人」への優しく、厳しい愛情があるからなのだと思います。
それは登場人物だけでなく、生徒に対しても。
トップスターの退団公演で、「成し遂げられなかった男」を描くこと、私は間違っていないと思います。
そして「成し遂げたかどうか」よりも、「どのように生きたか」を主軸にしたことで、演出の正しさは完成し、証明されました。
上田先生は朝夏まなとの生き様・・・タカラジェンヌとしての・・・を退団公演だけに止まらない広さと深さで掘り起こし、ドミトリーという人物、役に命と魂を吹き込見ました。
順風満帆な時よりも、苦しみ、困難にもがいている時に誇りと信念のままに生きる姿がどれだけ高貴で高潔か。
シンクロ、なんて気取った言葉はやめます、朝夏まなとはドミトリーになったのです。
何が正しいか答えが分からない、もしかすると答えなどないのかもしれない時代に、どんなに先が見えなくても逃げずに、己の信念を貫く姿に共感以外の感情は生まれませんでした。
こんな風に生きるのは大変だけれども、それが現実だと思います。
誰にでもできはしない、けれど実際にそう生きる人は確かにいるのです。
これがドミトリーの、朝夏まなとの美学であり、最後にたどり着こうとする男役の究極の境地なのだと思います。
肩書きがないのなら、誰もが認める存在にすればいい、なればいい。
イレーネという役は、上田先生が伶美うららに与えた最後にして最大の愛と試練でした。
生温いはなむけではなく、厳しさを乗り越えた先にある栄光をつかませるための、彼女への愛と敬意を捧げたような役です。
そして彼女は日々完璧に、もう完璧に応えています。
毎回、このレベルは何なのだろうと感動します。
登場シーン、下手からピンスポットは当たっているものの、本舞台の明るさとのバランスを考えた若干弱めの光度にもかかわらずその神々しさに客席が振り向く存在感を示すイリナ。
ヒロインならド派手なピンスポでもいいのに、世界観を最優先させ、かつ伶美うららを甘やかせない演出に、ライトではなく役作りとオーラで魅せ、見事に応えることで彼女は「ヒロイン」であることを自らの力で示しました。
台詞は一言一句、全てに品格が漂い、間にも語らせる説得力は圧巻としか言いようがありません。
「伶美うららは背中も最高の衣装だ」
背中は「露出物」ではないのです。
背中も魅せるもの、演じるものなのです。
それは表面の美しさ、鍛え上げられた肉体美だけでなく、娘役も背中で魂を語り、人生を表現できることを示しています。
「あなたがいたから、わたしはこの国を好きになった」
劇中唯一にして最高のイリナのドミトリーへの愛の告白。
この想いがあったから、彼女は「イリナ」になり、「イリナ」=ロマノフとしての生き方を貫く決心をしたのでしょう。
彼女は死にに行ったのではありません。
信念のまま歩んだ先に起こりうること全てへの覚悟ができていたのです。
死をも恐れぬイリナもまた、高貴で高潔な人物でした。
ここまで来ると、上田先生の演出と伶美うららの舞台は、「娘役トップスター」という肩書きへの反抗でも抵抗でもなく、それを超えた領域にあるように感じます。
毎公演、イリナ(イレーネ)の人生を新たに生きる伶美うららが千秋楽の日に登り詰める場所、その景色を彼女を愛する全ての人も共に見ることができますよう。
今回の公演レポートは構想なしで、書く時に出て来る新鮮な気持ちを大切に書いていきます。
どこまで行けるか分かりませんが、最後までお付き合いくださいませ。